業平と高子
(伊勢物語/月やあらぬ)
~后候補の姫君とのはげしい
恋の顛末(てんまつ)
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『伊勢物語』は在原業平(ありわらのなりひら)の一代記とされます。惟喬親王(これたかのみこ)は天皇の第一子でありながら、母が藤原氏でなかったため帝位につけませんでした。業平とは親しい関係。★高子(たかいこ)は藤原長良の娘、のちに清和天皇の女御となりました。一時、業平と恋愛関係にあったが、身分の違いからその恋は許されないものでした。
月やあらぬ(「伊勢物語」第四段)を現代語で
業平と高子
在原業平(ありわらのなりひら)は、平城天皇の孫という高貴な血筋でしたが、権力の主流から外れ、父阿保の時臣籍降下して在原朝臣を名のるようになりました。平安時代のヒーローの条件、容貌美しく、色好みで、歌の才能に恵まれた人物として伝わっています。 高子(たかいこ/こうし)は、父は藤原長良(こちらを)、清和天皇即位に伴う大嘗祭(こちらを)で,天皇との結婚を前提とした五節(ごせち、こちらを)舞姫となります。当時父はすでに亡く,叔父良房と兄基経が後ろ盾となっていました。
ここでは、業平の高子(たかいこ/こうし)への懸想譚(けそうたん)「月やあらぬ」をとりあげます。 恋愛や結婚、現在の価値観を絶対視しないで、今から1100年前の古代の人々にできる限り近づいて、物語を追体験してみましょう。結婚のあり方も慣習も交通や通信の便も、現代とは全くと言っていいほど異なる時代です。
変化したものしないもの
女は、「ひんがしの五条」の「おほきさいの宮」の屋敷の西の対の屋(たいのや・こちらを)に住む人、すなわち、藤原高子(たかいこ、こうし)であり、清和天皇の女御となる二条后(にじょうのきさい)とわかるように書かれています。
高子が入内する以前に業平と恋愛関係にあったと思われていたようです。高子が姿を消したのは、后がね(后候補)の高子を業平から引き離すとも、入内(じゅだい)したためとも解釈できます。悲劇の結末となったのです。
修辞・解釈について
①〈月や(昔の月)あらぬ〉と〈春や昔のはるならぬ〉が対句ととらえられます。
②「や(係助)」は、疑問とも反語とも解釈できます。
「や」が疑問⇒ 変わらないもの=自分
変わったもの=月・春・女
⇒今、目にしている月が、いや、それだけではなく、この春そのものが去年とはまったく別のものに見え、あの人を失った「我が身」だけが元のまま取り残されたようにと感じられている。⇒⇒⇒上の現代語紹介でとった立場。
「や」が反語⇒ 変わらないもの=月・春・自分
変わったもの=女
⇏この春もこの月も、そしてあのひとを想うこの私も去年とまったく同じなのに、あのひとは姿を消してしまいもう逢うことはできなくなってしまった。
「疑問なのか、反語なのか?」、問題になってきました。上の二つを参考に考えてみてください。
「伊勢物語」への道
現在、私たちが小説や評論とよんでいるものが、昔から存在していたわけではない事情は、『かぐや姫のおいたち(竹取物語)~わが国で最も古い物語の誕生』で少し詳しく書きました(こちらを)。
平安時代の初期(1200年ほど前)に、漢字を元にしてひらがな・カタカナが発明され、そうして初めて、私たちが日常使っている言葉で、心情や情景の文字表現ができるようになっていったのです(万葉仮名時代を除きます)。このようにして、かな文字で書かれる物語という新しい文学に発展していきました。
文学史的には、こうして、架空の人物や事件を題材にした〈作り物語〉(「竹取物語」など)と、歌の詠まれた背景についての話を文字化した〈歌物語〉(伊勢物語)の二つが成立したとされています。
「伊勢物語」の主人公は業平
「伊勢物語」は現在残っている最古の歌物語です。初期の日本語散文らしさを感じさせる、飾り気がなく初々しく抒情的な文章で書かれています。
初め在原業平の家集を母体として原型ができ、その後増補を重ねて、今日の形になったようです。
在原業平になぞえられる主人公「昔男(むかしおとこ)」の生涯が、一代記風にまとめられています。高貴な出自で、容貌美しく、色好みの評判高く、歌の才能に恵まれた人物の元服から死までのエピソード集です。ただし、業平とは考えられない男性が主人公の段もあります。
「業平と高子(伊勢物語)~后候補の姫君とのはげしい恋の顛末 /通ひ路の関守」はこちらから
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