野分の朝(源氏物語)もっと深くへ ! 

源氏物語』とは

 源氏物語は、今から1000年余前(平安時代中期)、藤原道長の娘である中宮彰子(しょうし)に仕える紫式部によって書かれた。先行する伝記物語(「竹取物語」など)・歌物語(「伊勢物語」など)・日記文学(「蜻蛉日記」など)の表現史的蓄積の上に、このような高度な表現を達成することができたといわれる物語文学。

 四代の帝(みかど)の七十四年間にわたって、五百名にものぼる登場人物を見事に描き分けて壮麗な虚構の世界を展開。


世界史上女流の文学者は、ギリシャ時代にサッフォーという詩人が知られるが、以降「古代・中世を通してみるべき女流作家は出現せず」(『ブルタニカ国際大百科事典』)、19世紀になって、イギリスでブロンテ姉妹や G.エリオットらの小説家が登場することになる。日本の平安時代に『源氏物語』の紫式部をはじめ,清少納言,和泉式部そのほかの偉大な才女が輩出したことは特筆すべき文学現象である。」(同前事典)とされていること、すなわち、女流が古代に文学作品を書き残しているのは世界史上日本だけであること、知らない日本人も多いようです。


六条院

 光源氏36歳。

 その正妻である紫の上は28歳。
 光源氏と今は亡き正妻葵上との間に生まれた夕霧は15歳。夕霧にとって、紫の上は継母(ままはは)にあたる。

 六条院とよばれる、光源氏が平安京の六条京極に建てた広大な邸宅で、ここにおもだった夫人たちと子女を住まわせた。その邸の、紫の上が住む南の御殿が舞台。



野分(秋~初冬の強い風)が吹きはじめた日

紫の上は、草花が気がかりで廂(ひさし)の間(母屋の外側の広縁)で庭の植え込みを見て
いた。

特に必要がない時は、母屋(もや)で過ごすのがふつう。風がひどいので屏風もたたんであった。

 そこへ、夕霧が参上して、これも風のため開いていた妻戸のすき間から紫の上を見る。それも、ほんの数メートルの距離で。
 春の曙の樺桜のようなその姿に心を奪われてしまう

 夕霧が継母を見たことを、一つの事件のようにことあらためて語られているのは…?
 身分の高位の人ほど、人目にさらされないようにする。とくに、女性はいっそう気を遣(つか)い、やむを得ない際は扇や袖などでおおった。几帳(きちょう)や御簾(みす)もそのための家具。さらに、下位の者や外部の人とは直接ことばを交わさないようにした。

 義理の関係の母親と子息の密通の噂話、当時の女房の間でかわされていたのかもしれない。
 光源氏自身、父である桐壺帝の正妻であり継母の藤壺と密通し、のち冷泉帝とよばれる皇子が産まれるという罪深い経験がある。読者は、そのことを思い起こしながらこの場面を読んでいる。


 紫の上の、この世に二人といないと思われる美しさが、次のように書かれている。


気高くきよらに、さとにほふ心地して、 春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す。あぢきなく、見たてまつるわが顔にも移り来るやうに、愛敬はにほひ散りて、またなくめづらしき人の御さまなり。


 気高く清らかで、ぱっと輝く感じがして、春の曙の霞の間から、美しい樺桜が咲き乱れているのを見る感じがする。どうにもならぬほど、拝見している自分の顔にもふりかかってくるように、魅力的な美しさが一面に広がって、この世に二人といないご立派なお姿である


 光源氏について、自分の親とも思われないほど若々しく美しいお顔立ちだと夕霧は思ったと書かれている。しかし、自分の妻が自分の息子を含め他の男に見られることにひどく気をもむ光源氏は、この物語の当初の天上的な美質を備えた主人公という面影は失せているように思う。自分の置かれた境遇、さまざまの人々とのかかわり、政治的現実、そうしたなかで光源氏がとった行為が物語の現実として天上性を失わせていったと言えるのではないだろうか…


 紫の上は、強風にさらされている草花を見捨てて母屋に戻ることができない。廂(ひさし)の間の「すこし端(はし)近く」、人目につくことを避けるたしなみを忘れない。理想的な女性像を保ち続けている


 夕霧は、野分のおかげですばらしくありがたいものを目にできたとよろこぶ。でも、それ以上のことは考えない。父光源氏と容姿は瓜二つだが、まじめで融通がきかない性格がここでもみてとれる。


 夕霧のこころをさわがせた野分であった。




野分の朝 問題解答(解説)

問1 a 庭先に植えこむ草木(センザイ。草花・庭木を植えた庭園の意も。) e 長年

問2 b ひさし(ひさしの間。貴族の邸宅である寝殿造りの母屋の外にある細長い部屋、便覧で確認。) c みす d かたち(形-顔立ち-美しい顔立ち-ようすの意をインプット。)

問3 いかにしたるにかあらむ
(一段の後半にあり。「挿入句」とは、文の途中に、文意を補足するために挿入される、その文から独立した語句の意。)

問4 紫の上の、その気高く美しい魅力があたり一面に発散すること。
( 「気高くきよらに、さとにほふ心地して…あぢきなく、見たてまつるわが顔にも移り来るやうに、愛敬はにほひ散りて、またなくめづらしき人の御さま」に着目してまとめた。見る者を虜〈トリコ〉にし、魂を奪われそうな美しさとでも言い換えれば少し近いのか?)

問5(1)丸見えになったら困る(「もぞ」「もこそ」は、危惧懸念の意を表す係助詞、~タラ困ル、~タライケナイと訳。)

  (2)解答例…風が激しく吹いていて、御簾がいつ吹き上げられるかわからない状態である。そんな中、紫の上はまだ廂の間にいて、男性に見られるおそれがあるので。
(夕霧はどこから垣間見をしているのか、紫の上のいる場所、源氏はどういう経路で登場したのか? そして、寝殿造り、その間取り・家具調度の理解も必要です。)

問6 平安 紫式部 彰子 藤原道長


advanced Q.

1 解答例…庭もとあらの小萩は、露を落してくれる風を待っていたが、たしかに風は吹いてくれたが、思惑違いのひどい風で、引用の歌のようにすてきな風情にはなれなくて、体裁が悪いということ。
(ふまえられた歌は、「宮城野の元がまばらな小ぶりな萩(はぎ)が、露が重いので、それを払う風を待つように、私はあなたを待っています」の意。ここでは、たしかに風に出会ったけれど、歌のような風情にはなれず、「はしたなし」すなわち体裁が悪いということ。)


2 解答例…草花の植え替えをさせていた庭の草花がきがかりで、(母屋から)廂の間に出て、状況を見ていたが、(人目につく恐れのある一番端の)御簾の際までは行かないたしなみを心得ていることを示そうとする意図。
(「」とは、廂の間の一番御簾に近いところ。「少し」だから、廂の間のちょうど中ほどに紫の上はいたことになる。そこで草花の植え替えの様子を見ていた。人目にさらされる恐れのある御簾の際までは行かないところに、紫の上のたしなみがあることをいう。後の源氏の会話文に「男どもあるらむを、あらはにもこそあれ」とある。)


3 解答例…野分が、前栽の草木が痛めつけられないかと紫の上を心配にさせ、また、妻戸がわずかに吹きあけられているのを見た光源氏を、もしや紫の上が誰かに垣間見されたのではないかと不安な気持ちにさせた。
(「騒がす」とは、動揺させる、心配させる、不安にするの意。「ども」は、複数を表す接尾語、光源氏と紫の上二人のお心の意。紫の上は一に野分に吹き荒れる「花どもを心苦しがり」と心配し光源氏は「男どもあるらむを、あらはにもこそあれ」と不安な気持ちになっている。)





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