紫の上の死2/5(源氏物語/御法)~女性の死にざま part 2

 紫の上の死 2/5 
(源氏物語/御法)
 ~女性の死にざま part 2 


古典 多読 聴くだけ古文 
源氏物語 紫の上の死 その2 2020/11/01


『源氏物語』とは

 源氏物語は、今から1000年余前、藤原道長の娘である中宮彰子(しょうし)に仕える紫式部によって書かれました。先行する伝記物語(「竹取物語」など)・歌物語(「伊勢物語」など)・日記文学(「蜻蛉日記」など)の表現史的蓄積の上に、このような高度な表現を達成することができたといわれる物語文学です。
 四代の帝(みかど)の七十四年間にわたって、五百名にものぼる登場人物を見事に描き分けて壮麗な虚構の世界が展開されています

世界史上女流の文学者は、ギリシャ時代にサッフォーという詩人が知られてますが、以降「古代・中世を通してみるべき女流作家は出現せず」、19世紀になって、イギリスでブロンテ姉妹や G.エリオットらの小説家が登場することになります。それに対して、『ブルタニカ国際大百科事典』では「日本の平安時代に『源氏物語』の紫式部をはじめ,清少納言和泉式部そのほかの偉大な才女が輩出したことは特筆すべき文学現象である。」と、日本の文学の歴史が海外で特別視されていること、当の日本人で知らない人も結構いるようです。


登場人物

光源氏 『源氏物語』の主人公。母親は特別な出自でなかったことなどから、他の女御・更衣たちから疎まれ、嫌がらせを受け、光源氏を出産するが、源氏3歳の時なくなってしまう。父帝から深い愛情を受けたが、右大臣などの勢力からの圧迫を逃れるため臣籍降下し「源氏」を賜った。

紫の上 光源氏が北山に病気療養に出かけた時、偶然見い出した女の子で、ひそかに思慕していた藤壺によく似ていた。式部卿宮の娘、藤壺の姪 (めい) と分かる。光源氏は後に手元に引き取って理想の女性として育てた。葵(あおい)の上の没後、正妻格としてあつかわれた。 

明石の中宮 源氏が流離の身であった時結ばれた明石の君との間にできた姫君で、後に東宮妃となる。実母明石の上の出自を考え、源氏は手元に引き取り、正妻格の紫の上に育てられた。子ができなかった紫の上によって、美しく育つ。




与謝野晶子訳「紫の上の死(源氏物語/御法)~女性の死にざま」(youtube「きくてん」とは異なります。与謝野訳に少し手を加えています。)

 風がすごく吹く日の夕方に、前の庭をながめるために、夫人(紫の上)は起きて脇息(きょうそく)によりかかっているのを、おりからおいでになった院(源氏)が御覧になって、

「今日はそんなに起きていられるのですね。宮(明石の中宮)がおいでになる時にだけ気分が晴れやかになるようですね」
 とお言いになった。わずかに小康を得ているだけのことにも喜んでおいでになる院(源氏)のお気持ちが、夫人(紫の上)には心苦しくて、この命がいよいよ終わった時にはどれほどお悲しみになるであろうと思うと物哀れになって、
   おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩の上露 (# 1)
と言った。そのとおりに折れ返った萩の枝にとどまっているべくもない露にその命を比べたのであったし、時もまた秋風の立っている悲しい夕べであったから、
   ややもせば消えを争ふ露の世に後れ先きだつ程へずもがな (# 2)
とお言いになる院(源氏)は、涙をお隠しになる余裕もないふうでおありになった。宮(
明石の中宮)は、
   秋風にしばし留まらぬ露の世をたれか草葉の上とのみ見ん (# 3)
とお告げになるのであった。美貌の二女性が最も親しい家族として一堂に会することが快心のことであるにつけても、こうして千年を過ごす方法はないかと院(源氏)はお思われになるのであったが、命は何の力でもとどめがたいものであるのは悲しい事実である。

(# 1)置くと見る間もはかない。どうかすると、風に吹き乱されて萩の葉に置く露は。(私の命もその露と同じようなものです。)紫の上歌。

(# 2)どうかすると先を争って消える露にも等しいこの世では、遅れたり先だったりする間をおかず、いつもいっしょでありたいものですね。源氏

(# 3)秋風のためにほんのしばらくもとまらず乱れ散る露のように、はかないこの世の中を、誰が草葉の上だけのことと思いましょうか。(私どもも同じことでしょう)。明石の中宮


哀切な唱和歌

 源氏紫の上明石の中宮の間で交わされる三首の唱和歌(三人以上で詠み交わされる歌)。

 一首目、紫の上歌。「おくと見る」歌は、荻の葉の露がこぼれ落ちることに、自分紫の上)の命が消え去ることを掛けた歌。死を自分のこととしてとらえられています。

 二首目、源氏歌。「ややもせば」歌は、「後れ先だつほど経ずもがな」と、二人の間に後れ先立つ間を置かずにありたいとする。死を紫の上と自分(源氏)のこととしてとらえられています。

 三首目、明石の上歌。「あきかぜに」歌は、秋風にしばしの間もとどまらずこぼれてしまう露のような、この世のはかなさを、誰が草木の葉の上の露についてだけのこととみるでしょうか、つまり、死は誰も逃れられない。死をすべての人が逃れられないこととしてとらえられています。

 「萩」に置く「露」を題材にして、繊細かつ高度な唱和歌が交わされているのです。


『源氏物語絵巻』に描かれた「御法(みのり)」の場面

 『源氏物語』が成立して120年ほど経った平安末、物語を絵画化した絵巻物として制作されたのが『源氏物語絵巻』。54帖の物語からそれぞれ1~3場面を選んで絵画化し,対応する本文の一節を美しい料紙に写して挿入したもの。宮中で鑑賞されていたといわれています。「御法(みのり)」は五島美術館に所蔵されています。


『源氏物語絵巻』~御法(五島美術館)


 ほぼ左半分を占める庭には、露で枝のたわむ萩が大写しに描かれ、大胆な構図が印象的です。

 病み衰えた身を脇息にもたせかけ光源氏を迎える紫の上、その左下に対座する光源氏、その二人の間の手前にひっそりひかえる明石の中宮が配されています。紫の上も源氏もわずかに頭を傾け、袖をあげて涙をふくしぐさに見えます。悲しみをおさえかねているのでしょうか。

 庭は、嵐の空模様を思わせ、吹きたわむ秋草が自在な墨線で描かれ、3人の間で交わされる唱和歌に照応し、その心情を暗示する心象風景となっています。

 その萩の「露」が、「消えゆく露」⇒「消えはて」と連なって、ついに紫の上の死が告げられることになります。


紫の上の死 3/5(源氏物語/御法)~女性の死にざま part 3」はこちらから。

紫の上の死 4/5(源氏物語/御法)~死を悼む人たち part 2」はこちらから。

紫の上の死 5/5(源氏物語/御法)~死を悼む人たち part 1」はこちらから。

紫の上の死 1/5(源氏物語/御法)~女性の死にざま part 2」はこちらから。







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