紫の上の死5/5(源氏物語/御法)~死を悼む人たち part 2


 紫の上の死5/5

(源氏物語/御法)

 ~死を悼む人たち part 2 


 『源氏物語』とは

 源氏物語は、今から1000年余前、藤原道長の娘である中宮彰子(しょうし)に仕える紫式部によって書かれました。先行する伝記物語(「竹取物語」など)・歌物語(「伊勢物語」など)・日記文学(「蜻蛉日記」など)の表現史的蓄積の上に、このような高度な表現を達成することができたといわれる物語文学です。
 四代の帝(みかど)の七十四年間にわたって、五百名にものぼる登場人物を見事に描き分けて壮麗な虚構の世界が展開されています

世界史上女流の文学者は、ギリシャ時代にサッフォーという詩人が知られてますが、以降「古代・中世を通してみるべき女流作家は出現せず」、19世紀になって、イギリスでブロンテ姉妹や G.エリオットらの小説家が登場することになります。それに対して、『ブルタニカ国際大百科事典』では「日本の平安時代に『源氏物語』の紫式部をはじめ,清少納言和泉式部そのほかの偉大な才女が輩出したことは特筆すべき文学現象である」と、日本の文学の歴史が海外で特別視されていること、当の日本人で知らない人もいるようです。


登場人物

光源氏 『源氏物語』の主人公。母親は特別な出自でなかったことなどから、他の女御・更衣たちから疎まれ、嫌がらせを受け、光源氏を出産するが、源氏3歳の時亡くなってしまう。父桐壺帝(きりつぼてい)から深い愛情を受けたが、右大臣などの勢力からの圧迫を逃れるため臣籍降下、「源氏」を賜った。

冷泉院の后の宮(秋好中宮・あきこのむちゅうぐう) 源氏の若いころの年上の愛人六条御息所の娘。御息所は病を得て、源氏にその娘の後見を言いおいて亡くなる。後に、源氏は実子となる冷泉帝の女御として入内(じゅだい)させた。源氏は好意を抱いていたが、御息所の生前の諫めもあり、未練を持ちつつ後見役に徹した。

大将の君(夕霧) 源氏と今は亡き葵上との間できたただ一人の子息。誠実でひたむきな人柄。



与謝野晶子訳「紫の上の死(源氏物語/御法)~死を悼む人たち part 2(与謝野訳に少し手を加えています。)


 冷泉院の后の宮(秋好中宮)も御同情のこもるお手紙を始終お寄せになった。故人を忍ぶことをお書きになった奥に、
  枯れはつる野べをうしとや亡き人の秋に心をとどめざりけん(# 1)
   はじめてわかった気もいたします。
とお書きになったものを、院(源氏)はお悲しみの中でも繰り返しお読みになって、いつまでもながめておいでになった。趣味の洗練された方として、思うことも書きかわしうる方はまだお一人この方があるとお思いになって、院(源氏)は少しうれいの紛れる気持ちをお覚えになりながら涙の流れ続けるためにお筆が進まなかった。
  昇りにし雲井ながらも返り見よわれ飽きはてぬ常ならぬ世に(# 2)
お返事をお書き了(お)えになったあとでもなお院
(源氏)は見えぬものに見入っておいでになった。

 お気持ちを強くあそばすことができずに悲しみにぼけたところがあるようにみずからお認めになる院(源氏)はもとの夫人(紫の上)の居間のほうにばかりおいでになった。仏像をお据えになった前に少数の女房だけを侍(はべ)らせて、ゆるやかに仏勤めをあそばす院(源氏)でおありになった。千年もごいっしょにいたく思召(おぼしめ)した最愛の夫人(紫の上)も死に奪われておしまいにならねばならなかったことがお気の毒である。もうこの世にはなんらの執着も残らぬことを自覚あそばされて、遁世(とんせい)の人とおなりになるお用意ばかりを院(源氏)はしておいでになるのであるが、人聞きということでまた躊躇(ちゅうちょ)しておいでになるのはよくないことかもしれない。

 夫人(紫の上)の法事についても順序立てて人へお命じになることは悲しみに疲れておできにならない院(源氏)に代わって大将(夕霧)がすべて指図をしていた。自分の命も今日が終わりになるのであろうとお考えられになる日も多かったが、結局四十九日の忌(いみ)の明けるのを御覧になることになったかと院(源氏)は夢のように思召した。中宮(秋好中宮)なども紫夫人(紫の上)を忘れる時なく慕っておいでになった。

(# 1)(このすっかり)枯れてしまった野辺(の風情)をつらいと思って、亡くなった方〔紫の上〕は、秋の季節を好まなかったのでしょうか。秋好中宮歌。

(# 2)煙となって昇ってしまわれた空の上にいらっしゃるままに、私を振り返って見てください。この秋の季節が果てるとともに、私も無常のこの世にすっかり飽き果ててしまいました。源氏歌。


秋好中宮からの弔問

 冷泉院の后の宮(秋好中宮,あきこのむちゅうぐう)と亡き紫の上は、源氏の広大な邸宅(六条院)で、それぞれ「秋の御方(おんかた)」、「春の御方」としての位置を占め、二人の間で、風雅な春秋の論争も交わされたとがありました。ここでの弔問歌(ちょうもんか)は、それをふまえて紫の上を回顧するものとなっています。「枯れ果つる野辺」は、紫の上の死によって女主人を失った六条院のようすを言うだけではなく、中宮源氏の心象風景を言うものでしょう。
 源氏はそれを見て、致仕の大臣への返歌と違って、涙がこぼれるのをおさえきれないために、なかなか書き進めることができず、書き終えてもしばらくは放心したようにぼんやりしています。中宮からの弔意(ちょうい)を素直に受け取り、自分の気持ちを率直に詠んでいるようです。 


紫の上亡き後の源氏

 源氏の姿には、かつての華やかさは感じられない。悲しみに沈む姿には老いの感じさえ漂っているようです。宿願の出家を思いますが、紫の上を失った心弱りから出家したと思われるのを憚(はばか)って果たせないという。これまでは後に残る紫の上が気にかかるから果たせずに来たが、紫の上亡き今となっては気になるのは世間の噂だけです。それを物語の語り手は「あぢきなかりける」と評しています。「あぢきなし」とは、望ましい結果が得られそうになく、情けない、かいがない、つまらないというような意。しかし今度こそは本懐を遂げるに違いないと読者は予想します。




紫の上の死 1/5(源氏物語/御法)~死を悼む人たち part 1」はこちらから。

紫の上の死 2/5(源氏物語/御法)~女性の死にざま part 2」はこちらから。

紫の上の死 3/5(源氏物語/御法)~女性の死にざま part 3」はこちらから。

紫の上の死 4/5(源氏物語/御法)~死を悼む人たち part 1」はこちらから。


Genji monogatari amv 2013/03/17


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