山崎正和
演じられた風景
exercise
演じられた風景 exercise 解答/解説
解答
問1 a 岬 b 模範 c 投影 d 描 e 不得手 f 延長
問2① なぞらえる ならう
② もっとも本質的な部分を抜き立して (16字)
③ 庭 ④ (ウ) ⑤ 絵の具やことば
問3A 大海や深山に見立てられていない、ただの池や築山。
B それを見ることで大海や深山の典型的イメージを感じさせるもの。
C 自然の一部で自然を表現するため、自由がきかないことと、現実の空間で表現するため「無限」や「空虚」などを表すのが難しいこと。(62字)
D 短歌や俳句が限られた字数で表現する文学であることや、水墨画が墨の色だけで表現する芸術であること。
E 役者が役を演じるように、見立てを用いて大自然のイメージを感じさせること。
問4 日本の庭は「見立て」を通じて、外なる大自然を「名所」にまで人工化しているのに、多くの識者がそのような日本の庭のもつ高度な作為を認識していないから。
問5 (ア)
解説
問1 漢字をないがしろにしないでね。確実に得点できるジャンルですよ。だから漢字の平常テストは地道にやってね。そして、定期考査の勉強はまず漢字から始めよう。それもただ漢字を覚えるのではなく、前後のコンテクスト(文脈)・内容を把握しなが進めてね。高校を卒業したら書き取りテストなど誰もやってくれません。高校までの蓄積が一生の漢字筋力となります。
問2① 「見立て」とは、「見送り・見て選ぶこと・なぞらえること」の意。芸術表現では、対象になぞらえて表現することを言います(たとえば、「築山」を「富士山」になぞらえる)。
②
現代語にすると、「趣があるあちらこちらを、自分のものにして」。次段の「名所の風景のなかからもっとも本質的な部分を抜き出して、それを庭のデザインの模範にせよ」のどの語句に対応するか、二十字以内を頭において考える。「翻案」とは、もとになるものの大筋をまね、細かい点を変えて作り直すことを言います。
③
「だいたいのようす」の意。庭園の造り方について話題にしているので、解答は明らか。
④
「表現技法」はレトリックとも呼ばれる。「比喩」は、2つに大別される。①「直喩法」=比喩であることを表す「たとえば」・「あたかも」・「さながら」/「ように」・「ごとし」・「みたいに」「似たり」などの語を用いて、たとえるものとたとえられるものとを直接比較して示すもの。②「暗喩(隠喩)法」とは、たとえを用いていないが、表現面にはその形式(「たとえば」・「あたかも」・「さながら」/「ように」・「ごとし」・「みたいに」「似たり」など)を出さない方法。白髪が生じたことを、「頭に霜を置く」という類。
⑤
この段・次段で、「庭」と「詩歌や絵画」を比較対照して論じてある。両者の「表現」の手立てについて述べてあり、「庭で自然を表現することは、詩歌や絵画にくらべて、はるかに大きな制約を負わされている。なにしろ自然の一部で自然を表現するのだから、絵の具やことばのように自由がきかない」に着目。
問3A この段は、日本人が、「名所」に見立てて「池や築山」を作ることの意味を述べている。二項対立で語られる比喩表現を理解。
【「役者が善人や悪人を演じる」=「大海や深山を演じている」】対【「素顔の役者」=『「見立て」の技法が用いられていない「池や築山」。』】]
B 同文の「二重のイメージ」とは、「池や築山」自体のイメージと大海や深山という見立てられたイメージ(←出題されます)。日本の「池や築山」の魅力を、同段と前段からまとめる。
C 【次文】+「それに」+【次次文】→二点を65字以内で要約することになる。
D 古典詩歌は音数律を用いて詠まれている。音数律とは、長歌の5・7……5・7・7、短歌の5・7・5・7・7、俳句の5・7・5などの韻律のこと。これを「不自由な条件」と表現。また、雪舟の絵については筋トレサイトから「雪舟」にリンクしてみて。
E 4つ前、3つ前の段落で、『池や築山』の「見立て」を、「役者」の演技にたとえて述べられている。
「ちょうど役者が善人や悪人を演じるように、池や築山は、庭を舞台に大海や深山を演じているのだといえる」に着目。
問4 筆者の見解は直前の文に、「日本の庭」は「見立て」を通じて、『外なる大自然を「名所」にまで人工化している』と述べてある。「日本の庭は自然の延長だ」とか、「日本美」に『「自然」を強調する』ことを、「日本の美」を見くびる(ここでは、本質を知らずに過小評価するの意)ことへの批判。言い換えれば、【西洋の美=人工=高度】対【日本の美=自然=素朴】という常識な二項対立を否定。
「見立て」「名所」「人工化」のキー・ワードを用いて、「日本の美を論じる人」が日本の庭の過小評価していることへの反論になるよう文章化する。サイトももう一度見て。
問5(イ)→ 「人間を自然の営みの一部であり」、「自然と一体化した存在としてとらえてきた」はいずれも不一致。
(ウ)→ 「自然を人間と対立する存在ととらえ」、「人間本位に自然を作り変えてきた」はいずれも不一致。
(エ)→ 「人間を自然の一部としてとらえつつ」、「部分的に自然に手を加えてきた」はいずれも不一致。
(オ)→ 「自然に畏敬の念を抱きながら」は不一致。
「日本の庭」は「名所」に見立てられて作られている。「名所」とは、「自然の美が典型的に現れた」と日本人が思う場所のこと。言い換えれば、そんな「趣味が投影されて理念化された風景」。つまり、自然をありのままに見ているのではなく「客体としてとらえ」ていることになる。また、「日本の庭」は、それに重ねて「名所」が「イメージ」できるように作られ(=作為的とも技巧的ともいえるよね)、自然へ働きかけてきたと言うことができる。すなわち、(ア)が正解になる。キー・ワード、キー・フレーズをマークして納得できるかよく考えてみて。
最後に全体の論旨を整理しましょう。
・日本の庭は名所に見立てて作られている。
⇩ ⇩ ⇩
・名所とは、日本人が自然の美がもっとも典型的に現れていると思う風景のことだ。
⇩ ⇩ ⇩
・日本の庭は、その名所がイメージできるように作られている。
⇩ ⇩ ⇩
・日本の庭は、見立てを通じて大自然を人工化した(高度に作為的な)ものだ。(結論)
いまひとつ理解があいまいだなあと思う人、上の整理をインプットしてもう一度本文を読み直してみてください。きっと腹に落ちます。
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