「枕草子」とは
現在、私たちが小説や評論とよんでいるものが、昔から存在していたわけではない事情は、『かぐや姫のおいたち(竹取物語) もっと深くへ! 』が少し詳しい記事となっています(こちらを)。
日本語はそれを表す文字を持ちませんでしたが、平安時代の初期(1200年ほど前)に、漢字を元にしてひらがな・カタカナが発明され、そうして初めて、私たちが日常使っている言葉で、心情や情景の文章表現ができるようになっていったのです(除く万葉仮名時代)。このようにして、かな文字で書かれる物語という新しい文学に発展していきました。文学史的には、こうして、架空の人物や事件を題材にした〈作り物語〉(「竹取物語」など)と、当時、社会で語られていた歌の詠まれた背景についての話を文字化した〈歌物語〉(伊勢物語)の二つが成立したとされています。
さらに、見聞きしたことや、自然・人事についての感想・考え・評価などを自在に記す、今で言う〈随筆〉として、千余年ほど前清少納言(せいしょうなごん)によって『枕草子(まくらのそうし)』が書かれました。中宮定子(ていし・さだこ)に仕えた宮中生活の体験や、感性光る「ものづくし」を自在に著わし、「をかし」の文学と言われています。『枕草子』も、日本人独自の感受性、ものの見方、思考の組み立て方の原型の一つとなっているといえます。
定子の卓越した人柄
問2 のうし(「なおし」も可。)
問3 c 大納言殿 d 上 e 筆者(清少納言)
問4 ハ
問5 すゑ (上の句=もと、下の句=すゑ。 古典常識としてインプット。)
問6 ヘ・ト (この箇所、父道隆が「円融院」に誉められた例に並ぶといえると、中宮が筆者をおほめになったので、気恥ずかしくきまりが悪くて冷や汗をかいてしまうと、照れ隠ししている。)
問7 仕える主人(高貴な方)の求めに応じて、とっさに答えていること。また、古歌の一部を言い換えたこと。さらに、主君のへの敬愛・尊崇の念を表したこと。
問8 清少納言・随筆・平安時代中期・定子
a.Q
(桜を讃える歌を、君=中宮を讃え、敬愛する歌にしていることになる。元歌は、藤原良房が娘である后明子の栄華を花に託して詠んだ歌。)
2 「思ふ」は愛情をいだくの意だが、「頼む」は主君を頼みとする意になる。
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