清涼殿の丑寅のすみの(枕草子 23段)もっと、深くへ !




冲方丁 歴史小説!
『はなとゆめ』

 「枕草子」とは 

 現在、私たちが小説や評論とよんでいるものが、昔から存在していたわけではない事情は、『かぐや姫のおいたち(竹取物語) もっと深くへ! 』が少し詳しい記事となっています(こちらを)。


 日本語はそれを表す文字を持ちませんでしたが、平安時代の初期(1200年ほど前)に、漢字を元にしてひらがな・カタカナが発明され、そうして初めて、私たちが日常使っている言葉で、心情や情景の文章表現ができるようになっていったのです(除く万葉仮名時代)。このようにして、かな文字で書かれる物語という新しい文学に発展していきました。文学史的には、こうして、架空の人物や事件を題材にした〈作り物語〉(「竹取物語」など)と、当時、社会で語られていた歌の詠まれた背景についての話を文字化した〈歌物語〉(伊勢物語)の二つが成立したとされています。

 さらに、見聞きしたことや、自然・人事についての感想・考え・評価などを自在に記す、今で言う随筆〉として、千余年ほど前清少納言(せいしょうなごん)によって『枕草子(まくらのそうし)』が書かれました。中宮定子(ていし・さだこ)に仕えた宮中生活の体験や、感性光る「ものづくし」を自在に著わし、「をかし」の文学と言われています。『枕草子』も、日本人独自の感受性、ものの見方、思考の組み立て方の原型の一つとなっているといえます。


出衣(いだしぎぬ)


清涼殿の丑寅のすみの(枕草子 20段)原文・現代語訳はこちら

 要約 

 時はうららかとのどかな春の一日、満開の桜や色とりどりの美しい女房達を背景とした、大納言様・帝・中宮様の姿に、わたくし(清少納言)は、ひたすら、賛嘆の目を向けるばかりです。清涼殿はきらめくばかりめでたい。
 中宮様の、女房達に対する古歌のテストに、わたくし(清少納言)がみごとに答えた際、中宮様が円融院のころの道隆様の逸話をお話しなさったが、それにつけても冷や汗が流れます。


 藤原・中の関白家(なかのかんぱくけ)絶頂期 

 定子の父藤原道隆(ふじわらのみちたか)は関白(かんぱく 天皇を補佐して政務を司る最重職)として頂点を極め、定子一条帝の中宮(ちゅうぐう 皇后)として寵愛を受け、その定子に仕えることとなった清少納言。うららかな春のある日、青磁の花瓶には桜が咲き乱れ、色とりどりの美しい衣装の女房が控えるなか、大納言中宮の姿に、作者清少納言はひたすら賛嘆の目を向ける。大納言を昼の御座(ひのおまし)に送った後、定子の永遠のさかえをたたえる古歌を口ずさむ。清少納言もその歌のように「千年も続いてほしい」と願う。
 はお食事をおすませになると定子の控える御局(みつぼね)においでになる。定子は墨をすらせ、女房たちに思いつく古歌を書けと課題を出す。楽しい雰囲気を作りその場を盛り上げ、帝をもてなしているのです。一条帝の歓心を得、自らへの寵愛をいっそう深めてもらうためである。それが中の関白家の栄華の継続につながることとなる。

 さらに、注目されるのは、清少納言を誉めるのに、今と同じような場面で定子道隆円融院に誉められたこと(=🔷関白様の過去のエピソード🔷」)を語っていることです。清少納言を誉めながら、同時に、道隆伊周(これちか)・隆家(たかいえ)・定子中の関白家の他の権勢家に対するの優越性がほのめることとなっているのです定子の聡明さがうかがえますね。

 後から振り返ると、道隆を祖とする中の中の関白家の、絶頂の時期(こちらを)となる。この時、定子は15歳、一条天皇は11歳でした。


清涼殿の丑寅のすみの」清涼殿母屋周辺見取り図

 定子の卓越した人柄  

 ここでも和歌が、その場をもり立て楽しい雰囲気を作り上げることによって、の歓心を得る力を発揮しているわけです。帝のお側で、清少納言は墨を摺るのに手を滑らすほど緊張していたというのが印象深いですね。清少納言は冒頭にもあった「花」を讃えた古歌を「君をし見れば」と変え、定子を敬愛する気持ちを示すものにした定子はその機転と才能をとてもおほめになった。「枕草子」には作者定子から評価された自慢話が多いと言われている。鼻持ちならないというより、菩薩様であるかのように尊崇の念を抱いている定子からおほめいただいた喜びを率直に語っているとも受け取れよう。

 定子は、一条帝が楽しめるようこの場をつくりコントロールしているといえます。古歌や故事などへの深い教養、そして、T.P.Oに即して楽しめる場を創り出す演出の能力、さらに、人の能力を見抜きその能力を発揮させる力を併せ持つ人物として、清少納言は語っているのです。おそらくそれは事実だったのでしょう。

清涼殿の丑寅のすみの(枕草子 20段)原文・現代語訳はこちら


「清涼殿の丑寅のすみの(枕草子20段)~絶頂期の中の関白家」でさらに理解を深めましょう。こちらです。

こうして、後半「古今の草子を御前におかせたまひて」という話題に続いていきます。こちらへ。

 

清涼殿の丑寅のすみの 問題解答(解説)

問1 天皇の常の居所 (「帝の常の御殿」など。)

問2 のうし(「なおし」も可。)

問3 c 大納言殿 d 上 e 筆者清少納言

問4 

問5 すゑ (上の句=もと、下の句=すゑ。 古典常識としてインプット。)

問6 ヘ・ト (この箇所、父道隆が「円融院」に誉められた例に並ぶといえると、中宮が筆者をおほめになったので、気恥ずかしくきまりが悪くて冷や汗をかいてしまうと、照れ隠ししている。)


問7 仕える主人高貴な方)の求めに応じて、とっさに答えていること。また、古歌の一部を言い換えたこと。さらに、主君のへの敬愛・尊崇の念を表したこと。


問8  清少納言・随筆・平安時代中期・定子

a.Q

1 定子中宮を信頼し尊敬する思い。
(桜を讃える歌を、君=中宮を讃え、敬愛する歌にしていることになる。元歌は、藤原良房が娘である后明子の栄華を花に託して詠んだ歌。)


2 「思ふ」は愛情をいだくの意だが、「頼む」は主君を頼みとする意になる。
(元歌の「思ふ」は愛する・恋しく思うの意で、元歌は恋歌。「頼む」とすることで、円融院を信頼し頼りにしているという意となる。)

3 (上記の解説を参照して、try !)

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